リレー
エッセイ
エッセイ
21世紀の民藝とは? ③
文・赤木 明登
人と人のつくり出す小さなものの話
そして、人と人のつくり出す小さなものの話です。
かつて森の中で、 人が花や鳥たちといっしょに唄を歌っていた時代がありました。 渚で、波や風の音とともに楽器を奏でていた時代がありました。 そんなころ、人も、人の暮らしも、人のつくり出す道具も、 同じリズムを刻んでいたに違いありません。 すべてがこの星の上に乗って、宇宙空間を高速移動し、回転し、 振動していたから、全部が繫がっていた。人間以外は、つまり「 自然」と、ぼくたちが呼んでいるものは、 いまでもそのまま変わることがありません。でも、 どういうわけか人だけは違ってしまった。
人間だけが変わってしまったのには、何かを「つくる」 ということが大きくかかわっているのではないか。人間だけが、 自然の中でただただ生まれてくる世界から、 自らがつくり出す世界に行ってしまったから。自然の一部分を、 素材として対象化して、加工し、 道具として利用することによって、 それと向き合ってしまったから。「つくる」ことによって、「 自然」と、それに向き合う「わたし」 というものができてしまったから。自らが鳴り響くのではなく、「 わたし」は自然の放つリズムに耳を傾け、 それを聴くようになってしまったから。 そんな変化はきっと五百万年ほど前に始まった旧石器時代から、 じわじわじわじわと起こっていたのでしょう。
それでも、人の手でつくり出されて、 遺ってきた小さなものたちに耳を澄ますと、森の花や、 渚の石ころのように、 大きな摂理と連続しているリズムが響いているのがわかります。
その繋がりが、どこかでプツッと途切れてしまった。それは、 いまからほんの百年ほど前のことなのではないでしようか。 そんな時代に発明されたのが「民藝」という言葉です。 自らが響く側から、 聴く側に立ってしまった人たちが発明した言葉です。そして、 そのころにはまだ、微かに聞こえていた鼓動も、律動も、 しだいに聴こえなくなっていく。そうして、 ぼくたちは漂い始めます。ここが、はじまりです。 はなしはまだつづきます。
赤木 明登(アカギ アキト)
塗師。1962年岡山県生れ。中央大学文学部哲学科卒業。編集者を経て、1988年に輪島へ。輪島塗の下地職人・岡本進のもとで修業、1994年独立。以後、輪島でうつわを作り、各地で個展を開く。著書に『二十一世紀 民藝』(美術出版社)、『美しいもの』『美しいこと』『名前のない道』(新潮社)などがある。