リレー
エッセイ

21世紀の民藝とは? ②

文・赤木 明登
右下/石を原型に乾漆造で制作(石川県輪島産・赤木明登作)

一輪の花と、一個の石ころの話

 

 次は、一輪の花と、一個の石ころの話です。
 ぼくは、隣の家まで1キロはある山の中の一軒家に住んでいます。毎日決まった時間に森の中を散歩します。ある日、足元に小さな白い花が咲いているのを見つけました。数日するとその花は枯れて無くなり、ぼくもそのことを忘れてしまう。それから季節が巡り、一年が経つと、また同じ場所に、同じ白い花が咲いて、やはり消えていく。その次の年も、またその次の年もそうでした。あたりまえのことのようですが、ある日、森の中でぼくはものすごいことに気がついてしまいました。この小さな美しい花は、あのことを知っているんだ。あのことというのは、もちろん先ほどの宇宙の話です。

 

 地球が太陽の周りを一周することによって、一年が刻まれる。地球が自分でクルリッと回転することで一日が刻まれる。植物は、そのリズムのまま芽吹き、成長し、花を咲かせ、種子を残し、枯れて、消えていく。いま、ぼくのいる森の中にあるすべてが、壮大な天体の運行とシンクロしながら、同じリズムが波打っている。樹木は、その身体の中にはっきりと年輪を刻み込み、花をめあてに集まってくる昆虫も、その昆虫を補食しようとする鳥たちも、キノコも、苔も、森の奥にひそんで姿を見せない動物たちも、いっときもとどまることなく変化をつづけながら、同時に、まったく変わることなく、すべてが共振しつづけていて、世界が音楽のように鳴り響いている。そのことに気がついていないのは、森の中でたったひとり、なんと!ぼくだけだったのです。

 

 ぼくの住んでいる山をおりると、すぐ近くには海がある。ときどき、海岸を散歩します。波打ちぎわでは、大きさのそろった石たちが、無数といってもいいほど波にもまれて、ゴロゴロゴロゴロと音を立てながら転げ回っています。ふと足元の小石を一つ拾い上げてみる。カドが取れて、まあるくなってる。もう一つ拾ってみる。やっぱりまあるい。ぼくは、右手と左手に一個ずつ石を握りしめて、波の音と、石の転げる音に耳を澄ましているとき、ふと、またものすごいことに気がついてしまった。この石っころも、あのことを知っているんだ。あのことというのは、もちろん先ほどの宇宙の話です。

 

 いま、うち寄せてきて、ぼくの足を濡らしている波も、潮の満ち引きも、ぼくの頬をなでていく風さえも、同じ鼓動の中にある。海岸に打ち寄せられたひとつの石ころにも、天体の運行という壮大なリズムが刻まれているんだ。波にもまれて水底を転がる石ころを見つめていると、宇宙の果ての深奥のようなものさえ感じてしまう。いままでずっと聞こえていたのに気がつかなかった、いまこの瞬間も響きつづけている壮大なシンフォニーを、世界のこの片隅でようやく聴きとった、最初の瞬間でした。
(3につづく)

右下/石を原型に乾漆造で制作(石川県輪島産・赤木明登作)
赤木 明登
赤木 明登(アカギ アキト)

塗師。1962年岡山県生れ。中央大学文学部哲学科卒業。編集者を経て、1988年に輪島へ。輪島塗の下地職人・岡本進のもとで修業、1994年独立。以後、輪島でうつわを作り、各地で個展を開く。著書に『二十一世紀 民藝』(美術出版社)、『美しいもの』『美しいこと』『名前のない道』(新潮社)などがある。