ものづくりの
現場

主張する箒と無名性②

文・吉田慎司

過激であること
 ものづくりは、本当は、昔のままでいい。伝統的な技法に一度でも触れたことがある人は、その合理性と効率性の高さを身に沁みて知っているはずで、そう思うことも少なくないのでしょうか。それは工程であったり、機能性であったり、身体への負荷であったり。素材の調達、処理、循環や持続可能性、しかもミニマルな意匠まで備えていたりする。訓練の中で技術を高める事は、歴史が取り込んできた知恵の集積に驚かされる毎日と言ってもいいでしょう。それなのに、そこに自己主張や、意見をわざわざ乗せて作るなんて、おこがましいし、あまりに過激な事で、美しさから離れていく事なんじゃないか。とも思ったりもするんです。
 それでも、過激じゃなきゃいけなかった。それは、道具を受け止める世界の感覚が、この箒より遥かに過激だからなのだと思います。
 箒の文化は、一度衰退してしまった。あんなに、腕のいい職人達がいたのに?自然の摂理に適った、こんなに合理的な、美しい、機能的な道具があったのに?美しいものがここにあっても、世界には他に、あまりに激しい記号、メッセージ、主張や色が溢れている。自然なままでいいのに、目の前に美しいものがあるはずのに。溢れだすノイズに覆い隠されてしまう。そして人々は、大切なものを見逃してしまう。そんな大きな力に抗うためには、やはりある程度の強さが必要だと、箒を作り始めたばかりの僕は感じていたのだと思います。

吉田慎司
吉田慎司
1984年 9月生まれ、東京練馬で育つ。 2007年 武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒業。 中津箒に出会い、元京都支店の職人から箒を学ぶ。 北海道へ移住し、制作の傍、ほうきのアトリエとお店「がたんごとん」を主催。
http://gatan-goton-shop.com
中津箒は、明治時代より作られていたものを発展させたもの。 原料であるホウキモロコシを全て一貫した無農薬の自社生産をし、 製造を職人の手作りで行っている事で、柔らかくコシがあり、 耐久性のある箒を生産している。 穂先を殆ど切らず、丁寧に揃えて柔らかく編込む為、畳だけでなくフローリングなどの掃く対象を傷つけず、細部まで届き、折れにくく大変長持ちする箒をお届けする事が出来る。