リレー
エッセイ

21世紀の民藝とは? ⑦

文・赤木 明登

「揺らぎ」の最小化に向けて。

 

 一般的な「漆」というものは、ほんとうはこの世界にはありません。あるのは山に生えている一本一本の漆の木から採れる樹液と、その固有の性質だけです。その一つ一つが漆というものでありながら、同時に強い個性を放っている。ただ、漆の場合は、樹液という液体なので、いろんな漆樹液を混ぜ合わせて一つのものにすることができます。多くの漆を混ぜ合わせれば、混ぜ合わせるほど、一つ一つの樹木由来の個性は解消して、自然界には実在しないけれど、「漆」という抽象的で、かつ本質的な材料となっていきます。欅という木材は、混ぜ合わせることはできませんが、取捨選択によって、抽象的かつ本質的な「欅」と出会うことができるようになります。

 

 このようにして、吟味し尽くした素材を工房に持ち込んで作業を開始しますが、それだけではあの「揺らぎ」を最小化することはできません。漆を塗るという作業は、必ず環境の影響を大きく受けるからです。ある程度の気密性を維持した室内でも、気温、湿度、大気の流動性と淀み、空中を漂う微細な物質などは、刻一刻と変化していてとどまることがありません。その他に、人知で計り知ることのできない、雰囲気、気配、波動、陰陽とでもいうべき何かが、つねにうごめいている。それらすべてが、器物の仕上がりに影響を与えます。したがって、工人は環境を可能なかぎり安定したものに調えていきます。

 

 篦や刷毛など、道具の摩耗、衰えも調子に大きく影響するので、つねに微細な調整を強いられることは言うまでもありません。

 

もちろんそれでも、あの「揺らぎ」が消え去ることはない。その理由は明らかです。最大の課題が、欅や漆といった素材の側ではなく、道具にでもなく、こちら側、つまり漆を塗っている当の本人にあるからです。そこでやるべきことは、ただ一つ。抽象的かつ本質的な素材と向き合う工人が、素材と呼吸を合わせること。

 

 もちろん、呼吸、体調、身体のリズムを整えておきます。その上で自己を素材に対して最適化します。つまり、抽象化され、本質を現した素材に寄り添って、自分自身を消していくのです。それはたいして難しいことではありません。単調な作業を、延々と繰り返す。何ヶ月も、何年も、何十年も。ただそれだけです。それだけで、誰でもその感じを体得できます。素材と同じように、自分の手の癖や、性格、個性は消えていき、現れてくるのは、個人ではなく、人間一般という抽象的な個性とでもいったものに昇華されると言えばいいでしょうか。その結果として、漆ならば漆が、本来あるべき姿を現してくれます。そういう状態を、人間の側から見ると「無心」とでも言うのでしょうか。

 

個別性を越えた人間一般の性質に基づいた営みのことを、再び別の言い方で「用」と言い換えることもできます。

赤木 明登
赤木 明登(アカギ アキト)

塗師。1962年岡山県生れ。中央大学文学部哲学科卒業。編集者を経て、1988年に輪島へ。輪島塗の下地職人・岡本進のもとで修業、1994年独立。以後、輪島でうつわを作り、各地で個展を開く。著書に『二十一世紀 民藝』(美術出版社)、『美しいもの』『美しいこと』『名前のない道』(新潮社)などがある。