エッセイ
21世紀の民藝とは? ⑨
蒐集の意味
ぼくは瀬戸内海沿いの小さな街で生まれました。近くに、日本で二番目にできた民藝館があって、ものこころついたときには、そこに通っていた。始めて行ったときの記憶は、もちろんありません。民藝館には、高度成長期の地方の都市と農村の中間のような土地で、家の中でも、街を歩いていても、まだ見かけることができたもの、たとえば染付の食器、舟徳利、時代簞笥、野良着、黒陶でつくられた祠、などが展示されていました。子どもには、なぜそんなものがわざわざ飾られているのかを、理解することができなかったけれど、建物の中に流れていた埃っぽくて、ちょっとせつないような空気感が好きでした。
民藝についてのテキストを読んだのは、高校生になってからだと思う。外村吉之介さんが書かれた小冊子でした。
上京して、学生になって、駒場の日本民藝館に何度も通い、柳宗悦さんの本を読みました。やはり、そこに置かれているものたちが好きだったのです。
でも、やがて民藝のことがわからなくなってしまいました。書物を読んで、民藝のことを知れば知るほど、わからなくなるのです。
たとえば、李朝の白磁の壺。ずっと欲しかった。いまでも欲しいと思うものがあります。民藝館にあるものは、売ってはいないので、街の古美術店などを訪ね歩くことになりました。もちろん、そこでは売っていたのですが、売っていても、買うことはできません。お金がないから買えないのは当然ですが、買えるとしても、欲しくないものもある。同じ時代の同じ形の白磁壺なのに。振り返って、民藝館にある白磁の壺を思い出す。するとそれが、ピカイチに輝いている。柳さんが選んだものです。
柳さんは、たしかに選んでいる。同じ時代の、同じ形の、同じ色の、同じ用途の壺の中から、これを一つだけ選んでいる。選ばれなかった、それ故にここに展示されることのなかった数多の壺たち。それらも、おそらく本に書かれていた民藝の定義からはずれていなかったはずです。用途があって、大量につくられ、安価で、無名の工人が、無心でつくった、云々。それが民藝の定義だとしたら、その定義にかなったものの中から、柳さんはさらにいいものを選びぬいている。一千個、一万個の壺の中から、これだというものがちゃんとわかっている。その選択の根拠は何処にあるのか。その根拠があるのだとしたら、民藝の定義よりも、なによりそっちの方をぼくは知りたい。そう思ったのです。
もし、選択の根拠が、民藝の定義の他にあるのだとしたら、民藝とはいったい何なのか。そこがわからないのです。じつは、このわからなさこそが、民藝のいちばん難しいところなのではないか。
そこで、もう一度、柳さんの本にその答えを探し、再びずんずんずんずんと読んでいきました。そこに書かれていたのは、かいつまんで話すとこういうことです。「美しい」というものをくくる抽象的な言葉はどこにもない。一つ一つの具体的な「美しいもの」に直に接して、そこに現れる個別的な「美しさ」と出会うのだと。つまり直観です。それもよく理解できます。でもどこかで、狐に鼻をつままれたような気がしてしまう。
そこで、これはしてはいけない、よけいなことなのかもしれない、なんて思いながら、「美しい」とは何なのかを言葉にしてみようと思い立った。そのささやかに試みが、いまぼくが書いているこの文章なんです。
さて、話はまだまだつづきます。
塗師。1962年岡山県生れ。中央大学文学部哲学科卒業。編集者を経て、1988年に輪島へ。輪島塗の下地職人・岡本進のもとで修業、1994年独立。以後、輪島でうつわを作り、各地で個展を開く。著書に『二十一世紀 民藝』(美術出版社)、『美しいもの』『美しいこと』『名前のない道』(新潮社)などがある。